「広報ゆざわ」の取材。
昨日、急遽、僕の出身地である、新潟県湯沢町の「広報ゆざわ」という、湯沢町役場から各世帯に配布されている広報紙の取材が入り、インタビューを受けてきました。
しかも、インタビュアーは、中学の同級生という、なんとも、懐かしい雰囲気の時間でした。
趣旨としては、「湯沢町出身のがんばっている人」という位置づけらしく、大変嬉しいご依頼でした。
湯沢町というのは、現在、5つの小学校と1つの中学校がありますが、子どもの減少に伴い、平成26年4月には小中学校が統合されます。
つまり、1年半後には、僕らが卒業した小学校がなくなるということなんです。時代の流れによって、やむを得ない事があるのは仕方ありません。
また、小学校からの9年間、同じ仲間と過ごすメリットは湯沢の未来を考えれば、確実にあると思います。
そこで、そのスタートが1年半後。
ちょうど、その時期に、僕は東京から新潟に拠点を移す予定です。
どこにいても、自分の活動が成り立つことを目指して、現在も活動を続けていますが、少しずつ、その目標が現実味を帯びている感じがします。
また、学校の新しい船出の時に、ゲストとして、呼んで頂けるくらいの人間になろうという目標もあるんです。
その第一段階として、広報紙に載れるというのは、少し前進する可能性を秘めています。
僕は、そもそも、有名になることが目的に生きているわけではありませんが、有名になる必要性は感じています。
それはなぜかというと、知名度のない人からの言葉より、知名度のある人からの言葉の方が、第3者評価を得ているという証であり、
素直にその言葉を受け入れやすくなるからです。だから、知名度をあげることは大事なんです。
ただ、その為に必要なことは至ってシンプルで、
「一つ一つの出来事にしっかりと向き合い、1人1人の方との出逢いを見極め、大切にする」
ということだと思います。
そして、少し生意気なご意見を言わせて頂くと、新聞掲載やテレビ出演がゴールだと思っている人が少々、この界隈の方々は多い気がします。
でも、僕はその後が最も大事だと思っています。
その後、「どのように動いて、苦しみ悩んでいる人達に手を差し伸べていけるか」というのを、それをきっかけにして、真剣に考え、議論していくことが大事だと思うんです。
もちろん、僕自身は、まだまだ、子ども達の役に立っているとは思えないので、常に「何が自分にできるか?」と、常に自分に問い続けています。
過去にしがみつくのではなく、過去をどう生かし、未来を創っていくか。
そう考えることによって、現在の動きが変わってくる気がします。
南雲明彦