不安という名の友達。
3連休も終わりましたね。
東京は少し涼しくはなりましたが、この暑さには慣れそうにありません。苦笑
僕はこの連休は、実家で祖父の33回忌に参列してきました。
親戚一同、集まるのは今は冠婚葬祭の時だけ。
昔は、お盆になると集まっていましたが、今はどの家庭も忙しく、
なかなか、集まることができなくなってしまっていたところでしたので、
とても嬉しい時間となりました。
このような行事は大きな節目となります。
僕の中では、「南雲」という命のバトンを絶やさぬよう、受け継いでいかなければいけないと、
改めて、思う時間となりました。
これは義務でも何でもありませんが、どこかで命が途絶えていたら、僕はこの家に
生まれていなかったですし、不思議な縁なので、大切にしていきたいものです。
しかし、今、こうして未来のことを考えることができていますが、10年前は今日を生きることで
精一杯でした。
一般的なイメージとして、引きこもりや不登校などは、「怠け」と捉えられてしまいがちです。
今は、人数の増加に伴い、マイノリティではなくなってきている側面がありますが、
まだまだ、実際の現状は理解されづらい面があります。
また、僕が不安的になる時期というのは、年度の変わり目もありましたが、この6月から
9月にかけてが多かった気がします。
学校であれば、クラス替えや新しい学校生活にも慣れてくる時期であるが故に
慣れない、馴染めないと孤立化してしまいがちです。
また、学校に行けていない状況であれば、ただでさえ、孤立化している状況なのに
精神的にさらに孤独感に苛まれがちになります。
この不安と戦うのは、なかなか、難しいです。
消そうとすればするほど、余計大きな敵となって、押し寄せてきてしまいます。
そんな中で、やはり、頼りにしてしまうのはネットの情報もありますが、
人間にどんなに苦しめられようが、救いや助けを求める対象もまた人なのです。
不思議なものですよね。
だけど、なかなか、自分の探している居場所なんてものは見つからなくて、
光を求めて、彷徨ってしまう。
そんな時に不安と友達になれたら、どれだけいいのだろうかって思います。
もちろん、そんな簡単にはいかないのだと思うけど、障害もそうですが、
排除するという方法ではなく、共栄や共存していくということも
大事なんじゃないのかなって思います。
少し前になりますが、映画「奇跡のリンゴ」を観てきましたが、
同じように不要だと思われている物の中に価値を見出し、共に生きていく
方法を探すことも案外、楽しみの1つの種になるかもしれませんね。