旧友との再会。
僕の住んでいる町、湯沢町は先週末、湯沢町長選があったわけですが、住民票を写してから、ぎりぎりで3ヶ月以上に入らなかったので、投票すらできませんでしたが、この町の未来を真剣に考えていらっしゃる方が多いと感じています。
そんな中ではありましたが、久々に中学、高校で一緒だった友達と会ってきました。
当然、学生生活の時と状況や環境は違うわけですが、「相変わらず」という、すぐに元の関係に戻れるのが同級生のよさですね。
学校に行くことが全てだとは思いません。
学びは、何も学校だけでできるものではないからです。
ただ、友達を作るというのは、なかなか、難しかったりします。
学校であれば、受動的でも、ほどほどに話せる人達はできたりするからです。
ただ、僕自身、今の活動の関係もありますが、どうしても、「こういう場に来たくても来られない人」のことも考えてしまいます。
もちろん、会う会わないは自由なのですが、「どう話していいかわからない」とか「共有している思い出がない」と考えて、結局、参加しないということになってしまうのは少し勿体ないことなのかなって考えていました。
想像以上に過去はみな、忘れているし、想像以上に自分の生活に精一杯で、他の人の生活まで興味が無いと思うんです。
これは年を重ねるほど、背負うものも増えてくるわけで、重すぎる荷物を整理したり、降ろしたりしてきた結果なんですよね。
僕は講演や本を出させてもらったりしているわけですが、そんな職業は珍しいわけで、比べる要素もそれほどないし、とても楽と言えば、楽なんだと思います。
だから、楽に生きられる方法はこの道のどこかに存在していると思うんです。
『状況や環境は変わり続ける』
その前提に立ったとき、希望は散らばっているのではないかと思います。
本の企画書を書きながら、ふと感じたのでした。