見通しが立つということ。

また、地震がありましたね。

明日から講演に向けて、愛媛県松山市に入りますが、お越しになる方は十分にお気をつけてお越し頂ければと思います。

 

地震は直前に携帯電話から警告音が鳴り響いたりしますが、直前で見通しなんて立たないですよね。

もちろん、そのための備えはできるのでしょうけれど、揺れ方もわからないし、先日の地震のように夜中だと無防備な状態で身動きなんて、すぐには取れないですもんね。

 

つまり、見通しが立たない。

見通しが立たないと不安ですよね。

 

見通しがある程度立てば、安心材料になるのですが、自然災害に関しては何も言えません。

 

話は変わりますが、子ども達にとって、この時期、学年が変わってからのクラスの動きや担任との相性など、見通しが立ちにくいんですよね。

また、学校が変われば、なおさらです。

 

心を許している友達が一緒であれば安心なのでしょうが、そのような子がいないと、虚しいし、寂しくもなるかもしれません。

 

ただ、ここまでは親身になってくれる人であれば、その不安に寄り添ってくれると思います。

 

それは、とっても大事なことなのですが、意外に見落としがちなのが、

 

「学校に行くまでの準備の見通しが立っていない」

 

ということなんです。

 

学校に何を持っていけばいいのか、明日何があるかわからないから、どのような気持ちでいればいいのかわからなかったりします。

このような状態だと不安で、寝られなくなるかもしれません。

 

そんな時、子ども達がどうしているのか。

 

朝まで一睡もせず、登校していることもあるんです。

 

こんな日々が毎日続けば、体が悲鳴をあげて、不登校にもなりますよね。

 

寝たくても、不安が勝ってしまえば、それに対してイライラして寝られなくなり堂々巡りになってしまう。

 

そんな時に薬に頼るというのはありだと思います。

 

ですが、根本的に困っている事に対して、打開策を考える必要があると思うんです。

だけど、その根本的なことは、本人もよくわかっていないこともありますし、わかっていても表現することって難しいです。

本人でもわからないから、周りの人がその謎を解くのはさらに難しいですよね。

 

そんな時、学校に行くことに力を入れる前に足元を見る必要があって、例えば、身支度を整える過程で不安材料があるのかもしれない、プリントが一見整理されていても取り出すのが難しいのかもしれないなど、様々な視点で、「普通」という常識を取っ払って、考える必要があると思うんです。

 

学校では難しいこともありますが、家の中では「自由な順番で、不安材料を取り除く」ことって大事だと思います。

 

「普通はできること」という枠なんて、取っ払ってもいいんです、家の中では。

今までできなかったことができたら、一緒に喜んであげてください。

 

よく言われる「褒める」ことより、「一緒に喜ぶ」ことの方が何倍も子どもの心に届いたりしますよ。

 

その時に備えて、親御さんも「喜ぶための準備」が必要ですね。

コメント(2) この記事のURL

コメントが2件あります。

  1. きくち より:

    あっという間に年度末です、一度も登校できませんでした。
    一緒に喜ぶこと、大事ですね。
    模写することが大嫌いな息子が、漫画をマネして描いていました。
    とても嬉しくて、喜びました。
    すると、照れ笑いをしていました。
    まるで奇跡のような瞬間でした。

    学校の門へのハードルは物凄く高いけれど、それでも諦めないでいたいです。
    いつも励まされています、ありがとうございます。
    いつか、講演会に参加してみたいです。

    • なぐも より:

      きくちさんへ

      登校できなかったというのはご本人にとって切ないかもしれませんね。

      「模写する」というのは黒板の字だけではありませんもんね。
      家の中にもできるものはありますね。好きなものならなおさらに良いですよね。
      その力を鍛えておくことはとても大切だと思います。

      一度に全てを解決する方法はないかもしれません。

      ただ、子どもは親の喜ぶ顔を見ていたいんです。
      それが励みとなり、ゆっくりですが、確実に成長していく部分はあります。
      1年は365日で、1日1個何かがクリアできれば、1年で365個も一緒に喜べる日になりますね。

コメントを残す

記事一覧へ戻る