戸惑いと歩もう。

新学期が始まりましたね。

 

新しい環境や人達の中で過ごすって、不安と期待が混じっていますよね。

ただ、こればかりは生きていく上で、必ず起こりえる事なので、耐性をしっかりと培っていくことは大切なことだと思います。

しかし、どうしても耐えきれないことってありますよね。

特に大人の理不尽な振る舞いなんて、たくさんあります。それに対して、耐えろとは言えない。

もちろん、すべてが自分の思うようにいかないこともある。自分だけで生きているわけではないから、「譲り合い」が必要になるからです。

 

自分は不登校だった時、家にずっといることが多かったのですが、自由である分、いざ人と関わろうとすると、どう関わっていいかわからない。自由に慣れてしまうと、自然と立ち振る舞いが自分勝手になってしまう。もちろん、これは逆も同じで、人と関わっていき慣れてくれば大丈夫な面もあります。

 

そんな戸惑いと歩んでいる子どもに対して、周りの大人はどうしても、すぐ答えを欲しがるし、答えを出そうとする。

 

子どもは無理をするべきじゃないと感覚的に感じていても、周りがそんな空気を醸し出していると、無理をしてしまう。これでは本末転倒ですよね。

 

大人が無理をする時期じゃないんです。

確かに焦ります。不登校になったらどうしようとか、勉強が遅れたらどうしようって。

それはとても有り難いんだけど、大人のペースに子どもは合わせてしまいがちになるんです。これでは気がすり減ってしまいます。

 

子どものペース配分を調整するのも大人の役目ではありますが、無意識に出ている空気のこともしっかりと考えていかなければならないと思うんです。

 

「目に見えるものばかりに囚われて、他の要素を見過ごしているかもしれない。」

 

そこを大事にすることって、知識と同じくらい大事です。

 

目に見えないものを見ようとすることで、新しい発見があるかもしれません。

そもそも、本当に大切なものは目には見えないのかもしれませんね。

禅問答みたいですが。笑

 

南雲明彦

コメント(2) この記事のURL

コメントが2件あります。

  1. 浅野ゆかり より:

    人とか変わらないとついついマイペースで勝手なふるまいに気づかなかったりする。
    今の私は、大丈夫かどうか。何時もなら何でもないことなのに、叱られた時の
    受け止め方が判らないから戸惑ってしまうんだよね。
    態度と表現が合わなかったり、適切な表情を演技出来なかったことで
    ますます誤解されてしまう。次に気を付けたら良いと云う表現も、
    自分は、いつも、何をしても欠陥なんだと刷り込ませてしまう。
    どんな表現なら、そのまま受け取れるか。何があってもこの個性を絶対に大切に
    していくのだと決めていく。自分を信じ抜くひとは、きっと誰かがいてくれる
    存在の大切さに気づいていく。何かを手に入れるより、今手にあるものを恐れるでもなく
    どんなときも何時でも人は、変化していけること。
    未来は解らなくとも、手応えがあることは幸せな時間をたくさん
    抱えていけるのだと云うこと。伝えられる大人が増えると良いですね。

  2. きくち より:

    上の方のコメント、凄く響きました…励ましも、時に本人にとっては辛いものとなりえるんですね。
    息子も、心配されたり気遣われることを小4にして嫌います。
    お世話係的な、女の子の気遣いがストレスなようで配慮していただいてる手前、なんとも言えない気持ちになります。

    肯定感を上げるって、難しいです。

    今日、遅れ馳せながら書店にて南雲さんと小菅さんの著書を注文してきました。不登校に関する本も、是非読んでみたいです。

Leave a Reply for きくち

記事一覧へ戻る