不登校のリアル。(10)毎週、木曜日更新。
【説明】
過去に書いてあった不登校についての文章をアップしていきます。
ざっくばらんですが、結構正直な気持ちなので、あんまり書き直さずに載せていきますね。
(なぐも)
【不登校の繊細さ】
「不登校の子達は学校に行く意思が弱い」ということを「繊細」だという人がいます。
傷つきやすいとか、不安に敏感ということでしょうか。
繊細さが個性だとすれば、尊重してあげなければなりません。
神経を図太くしてしまうのは個性をなくすことにもつながります。
繊細であるのであれば、図太く交渉してくれる通訳のような存在が必要不可欠です。
通訳者は自我を消し、どれだけ本人の表現を尊重し、万人に通じる形で再現できるかが大事なはずです。
しかし、これを親が担ってしまうと大変です。
ほとんどの人がしっかりと通訳ができません。
子を想うが故に自分たっぷりの通訳になってしまい、かなり脚色されてしまいます。
これでは本人の意思は届きません。
しっかりと通訳してくれる人を探すためには様々な人と出会わなければなりません。
その出会いが学校であるならば、学校でよいのです。
「行けたら苦労しない」となるでしょうけれど、成績やら出席日数、進学先など余計なことを考え始めたらきりがありません。
「通訳者」を探すためにあらゆる人を観察しに学校に行ったって構わないわけです。
そこで「こんな人が合うのではないか」とひらめけば、十分、学校は人生において有意義な場として活用できたことになります。
きりがいいところで、撤退しましょう。
ただし、次の行動を決めてからですね。
そうでないと、そのひらめきを自然と忘れてしまいます。
余談ですが、学校に限らず、ときめきも大事です。
(つづく)
【ひとりごと】
できないことをなくすことが自立ではないと考えています。
また、学校は勉強だけの場ではない。
自分の人生の主人公は、他の誰でもない自分自身です。
当たり前のことですが、当たり前のことを当たり前にそう思えると、ひらめきを大切に育てていくことができます。
ひらめきは、仕事をする上で、とても大切な素養になりますよ。