福岡県春日市での講演、終えました。

昨日は、春日市社会福祉協議会様主催の「福祉講演会」の講師を春日市ふれあい文化センターサンホールにて務めさせて頂きました。

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今回は、「共同募金運動推進大会・福祉講演会」ということで、このような素敵なバッチを胸に講演に臨みました。

 

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今回は、「見守る」ということの大切さや様々な事情を超えて「笑い合う」ことのを大切さを改めて考えて頂きたいと思いました。

表題は、「LD(学習障害)だから、見つけられた風景~ 生きづらさの可能性 ~」

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稲刈り。

少し、涼しくなってきました。

ちょうど、この時期は稲刈りの時期。

 

自分も少しばかりですが、実家の農業を手伝いました。

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父親と背丈が変わらないので、作業服はおさがりで、経済的です。笑

 

それにしても、自然にふれると、なんだか落ち着くのは、普段、いかに肩肘張って、不自然に生きているのかを自然が教えてくれている気がしました。

 

そして、愛犬にも癒されています。笑

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自分が10代後半の時、家にこもっていた時期がありました。

 

不登校で引きこもり。

 

家から出たくても出られない時に家族が代わりにペットショップに足を運んでくれて、色々な犬の写メールを送ってくれました。

そんな中にこのロングコートチワワがいました。

誕生日が「11月10日」で、当時は毛の色がほとんどチョコとビスケット色の2色だったので、「ポッキー」という名前になりました。

 

動物というより、この犬の力は凄いなって、いつも思います。

人間に置き換えることはできないけれど、あえて置き換えるとしたら、犬は色をあまり認識していないですし、話せないし(吠えるけど)、嗅覚や聴覚が過敏だし、二足歩行ができない。そして、働かない。笑

 

だけど、この犬にしかできない役割がある。

 

動物にも、自然にも、人間にも命があり、頼って、頼られて生きてる。

 

こうした当たり前のことをどこかに忘れてきてしまった結果、不自然なことが起こるんですよね。

 

今の当たり前になっているもののさらに奥にある「大切なもの」をたまに見つめてみるといいのになって、稲を刈りながら思ったのでした。

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自然な役割。

あっという間に9月に入りましたね。

まだまだ、残暑が厳しい。

 

こちらは引越しが一段落したのはいいのですが、あれよあれよと見つかる欠陥。

こういう時って、怒りたくなると思うのですが、自分は変な話ですが、良い兆候だと思ったりします。

 

これは皆さんに当てはまるものではないと思うのですが、自分の場合、何か新しい発展や出会いがある前というのは、大抵、何かが壊れたりします。

壊れることで、始まることもあるんですよね、不思議と。

 

ただ、自然に崩れていくのはいいのですが、「壊す」となると話が別になります。

破壊していった先には、その破片で、自分が負傷してしまう可能性も高いからです。

そして、何かが壊れても、自分が壊れてはいけない。つまり、目の前の現象を肯定的に捉えるというよりは、自然に壊れたものについては、流れに逆らわず、自然に受けとめる方がいい時もあるんですよね。
こういう時、不満や怒りが出てしまう可能性がありますが、そもそも、この気持ちって、頭に「普通」という言葉が来ることが多い気がします。

 

普通、事前に大家さんや前の住人が責任を持って、直すはず」

とか、

普通、こんな事は有り得ない」

など、

「普通」に囚われているが故に、心が不自由になってしまいます。

 

もちろん、自由と責任は隣り合わせだと思うけれど、心が自由であることが、大切だと思っています。

そして、自分がとてもリラックスした状態であれば、波長が合わない人、物が出てくるのは当然なんですよね。

 

波長というか、空気感が合わないと、自然と距離ができたり、なくなったりするものだと思います。

 

そんな風に考えていると、足元や空を見る余裕が生まれます。

 

足元には、

 

栗。

 

 

どうやって、殻を破って自分から出てきたのでしょうか?笑

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こうして、道端に転げ落ちていた栗であっても、誰かに秋の訪れを知らせてくれます。

 

1つ1つには意味があり、役割がありますね。

人も同じです。

1人1人に生まれてきた意味があり、役割がある。

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