命のはなし。

本日は、僕が暗闇の中で、もがいていた頃、手を差し伸べてくれた

女性のカウンセラーの方と久々にお会いしてきました。

相変わらず、元気そうで何よりでした。

 

女性のカウンセラーとの出会いは、1つのターニングポイントだったので、

僕の本には重要人物として、度々登場して頂いています。

 

お話しする時間は、少ししかありませんでしたが、「命」のことについて、

お話をしてきました。

「命」というのは、なぜ、自分で区切りをつけてはいけないのか。

大人は、みな、「自分の命を粗末にしてはいけない」と言います。

しかし、そんなことは子どもはわかっていて、それでも、苦しいから、

「死にたい」と思ったり、口に出しては叫んでしまったりするんです。

だから、大人は、素直に自分の気持ちを伝える必要があると思うんです。

 

「あなたがいなくなったら、何を生きがいにすればいいのか」

「あなたがいなくなったら、寂しいし、嫌だ」

 

と、子どものような言葉かもしれませんが、子ども自身は、

 

「誰かの力になりたい」「誰かを守りたい」と思った時、

新しい力が湧いてきます。これは子どもに限らず、大人もです。

だから、「社会で困るから」とかではなく、「自分が困る」とまずは、

伝えてあげて頂きたいなって思います。

 

また、二次障害を防ぐことは大事な事です。

ただ、僕は二次障害を与えられたから、今の役割を与えられたと思っています。

確かに何もない方がいいのですが、過去に様々なことがあったとしても、

それが呼吸を始め、時に自分の最大のテーマになることは大いにあります。

 

きっと、僕が二次障害になっていなかったら、今頃、障害という言葉も

ピンとこなくて、素通りしていたと思います。

 

現状は、引きこもりや不登校、障害などを隠す傾向があります。

それ自体は悪いことだとは思いません。僕自身も全員の人に伝えられているわけではないので。

(誰かと会う度に言うのって、時間が必要なので、そういう場面ばかりではありません。)

ただ、僕が不登校だった時、不登校経験者は口を揃えて言っていました。

 

「不登校をしていたなんて、恥ずかしくて言えないし、何のメリットもない」と。

 

僕はこの言葉を肯定したくありません。

社会や学校とか関係なく、そうやって、経験者が隠すから、子ども達は、

「自分達はダメなんだ」と思ってしまう気がするんです。

だからこそ、「あれがあったことは決して無駄ではなかった」と胸を張って

言ってくれる人を当時の僕は求めていました。

 

だったら、僕がそのような存在になりたい。

 

そう思わせてくれたのも、過去のおかげです。

だから、子ども達にはどのような表現方法であれ、メッセージを伝え続けていきたいと

思います。

コメントなし この記事のURL

コメントを残す

記事一覧へ戻る