不登校のリアル。(1)毎週、木曜日更新。

【説明】

 

過去に書いてあった不登校についての文章をアップしていきます。

 

 

ざっくばらんですが、結構正直な気持ちなので、あんまり書き直さずに載せていきますね。

 

 

(なぐも)


 

【不登校にとっての「登校」】

不登校の子どもにとって、「登校する」ということ自体は、よくもわるくも思っていません。

 

ただ、周りがみんな行っているから、「行かなければ、怒られる」という程度のものです。

 

また、不登校という認識が出てくるのはかなり余裕が出てきてからか、周りの大人が「あなたの状態を不登校と呼ぶ」と伝える必要があります。

 

余裕というのは家族の慌て具合をみれば、「ただ事じゃない」と認識するわけで、その余裕はなかなか顔を出してきません。

 

よくもわるくも家族は同調してしまうものだからです。

 

不登校とダイレクトに伝えることはないにしても、親が担任の先生か相談しやすい人に電話で「不登校になって、今後どうすれば・・・」と話しているのを聞いてしまえば、「あっ、自分というのは不登校という悪い状態になってしまったんだ」と思ってしまいます。

 

ここから、「登校」は善で、「不登校」は悪という極端な構図ができあがってしまい、事の重大さに気づいてしまいます。

 

学校に行っていない状態自体は、悪くもなんともないんですけどね。

 

ただ、家庭では勉強を教えるのに限界があるし、このまま引きこもりになってしまったらと不安になるのも無理はありません。

 

しかし、学校に行っていないからお先真っ暗になるわけではありません。

 

むしろ、真っ暗だからこそ、少しでも光が差し込めば、そこに迷わず進めるわけで、余計なことを悩まずにすみます。

 

不登校自体がどうのこうのという問題ではなく、不登校になることでのデメリットを心配するんですよね。

 

まぁ、簡潔に言えば、学校に行っていたからといって、社会で問題を起こす人は起こしますし、学校に行っていなくても問題を起こさない人は起こさない。

 

社会での自分の在り方と、登校、不登校は特に関係ありません。

じゃあ、何が問題なのか。

 

大人の「問題」への意識の問題でしょうね。

(つづく)

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