不登校のリアル。(11)毎週、木曜日更新。
【説明】
過去に書いてあった不登校についての文章をアップしていきます。
ざっくばらんですが、結構正直な気持ちなので、あんまり書き直さずに載せていきますね。
(なぐも)
【不登校という存在】
「不登校」という響きは、本当に独特です。
学校に行っていないという存在のみで終わるはずなのに大人がそんな風には終わらせず、異端児扱いします。
「異端児」であれば、とんでもない才能を持っているような響きがあり、まだいい方です。
「変な子」と見られてしまいがちで、さらに姿形を見る機会が極端に減るものですから、変な想像もしてしまいがちです。
学校によって登校時間も下校時間も違い、制服、体操着等みんなバラバラであれば、誰がどの時間にどんな格好で通学しているかもわからないので、不登校ということもよくわからないはずです。
しかし、現状、姿形を見れば、どの学校に行っているのか見当がつきますし、「学生とはなんたるか」というものを皆さん持っていらっしゃることが災いし、学生らしくなければ、変な子だなという風に見られてしまいます。
これを「大変」と呼びます。
大抵の人は悪気がないので、その大人を咎めてもしょうがありません。
堂々とできればいいのでしょうが、なかなか近所の目はそれを許してくれない独特な視線があります。
学校に行くという日々の行動がなくなると、余計なことを考えず追われずに済むので神経がその視線に敏感になります。
今までもあったかもしれませんが、早退したりずる休みしても、「学校に行っている自分」が守ってくれていました。しかし、今はその自分がいません。いつ行けるかの約束もできません。
また、そんな急に初々しい生命力溢れる自分を止めることができないでしょうから、気晴らしに外出したりします。
そうすると、「元気なのに、どうして学校に行かないの?」と視線を浴びることになります。
不登校の人が元気であるのは大いに結構なことなんですけどね。
つまり、学校に行っていない理由は、「病気」以外に周りは考えることができないのです。
これが「精神の病」なんてことになれば、病気は病気でもまた捉え方が変わってしまいます。
「あの子はおかしくなってしまった」と、本人はそっとしておいてほしいのに周りが騒ぎ立てます。
でも、大人にそんなことは面と向かって言えません。
事が大きくなることくらい、感覚的に子どもだってわかります。
だから、自身の安全を考慮し家にいたりするのです。
子どもはしっかり、感覚的に周囲を察知し行動していますね。
(つづく)
【ひとりごと】
不登校は学校より家の方が安全だから、言葉にできなくても本能的にそうしている可能性があります。
もちろん、それを受け入れる瞬間があっても、受け入れ続けることはよろしくないとは思います。
毎朝、身支度をして決まった時間に決まった場所に行くというのは、勉強だけでなく社会で仕事をする上で重要な力になるからです。
だったら、学校を安全な場所へと変える。安心材料を増やしてあげる。
不登校という事象だけでなく、細部までしっかり見つめた上で対策を練りたいですね。