おもいやりの引き出し。

最近、よく思うことがあります。

 

それは、大人がどれだけ、手を差し伸べようと思っても、子どもにとっては、

”今”そのタイミングではないという時があります。

 

特に僕自身、できることなら、色々悩んでいる子ども達とお話ししたいけれど、

自分と会っても大丈夫という人は、だいぶ現実を受け入れることができているし、

自信がある程度あるから、会ってくれます。

だけど、当然ですが、会いたくない、会ってくれない人もいます。

いくら、本を出しているからといっても、一度も会ったことがない人と

会いたくないというのは自然な反応だと思うんです。

自分自身が、10代の悩んでいた時、悩みを乗り越えたり、それを自分の一部として、

共に生きる決意をした人の言葉ってのは、どうもピンとこないし、なんだか、

物の言い方も好きになれなくて(人によるけれど)、自分はあまり興味が

ありませんでした。

今でも、それは言えていて、名前が知れている人達だからといって、

好きになれない人達は沢山いるし、適度な距離感があるからこそ、成り立つものもあります。

また、時間が経って、話ができるようになった人もいるし、それができなくなった人もいる。

 

ただ、タイミングが合って、何か感じたり、考えたりしてくれることがあれば、

きっとそれが、「ベストな時期」なんだと思うんです。

 

だから、時間がかかることかもしれないけれど、コツさえ掴めば、すんなり開く扉も

あれば、何重にも鍵がかかっている扉もある。

また、どうしても見せたくない、触れられたくない心の部屋もある。

 

だけど、大人って、おせっかいな生き物で、「なんとかしてあげたい」と、

思ってしまうのです。

自分の場合は、いつも言うけど、「自分と同じような思いはしてほしくない」

と思うから、どうしても、「こうしたら、うまくいくかも」と言ってしまいがちだけど、

それもタイミングや間合いが悪ければ、傷つけてしまうかもしれない。

 

それでも、受け取ることができてよかったと思える「おもいやりの引き出し」からしか、

何かを渡すことができない。その引き出しには、結構、「お節介」が多いのです。

だけど、そのお節介は、ただただ、自分の今や未来を憂いてくれてのものだったので、

今となれば、それが自分を蘇らせてくれたと思っています。

 

だから、うざったいかもしれないけれど、子ども達にはずっとエールを送り続けるし、

出会った子どもは縁あって出会うことができたわけだし、大切にしていきたい。

そして、今の時代であれば、繋がる手段が離れていても沢山ある。

 

だから、いつでも、連絡ください。

「なぐもに話してみよう」というタイミングが見つかったら、いつでも。

 

僕は、少し先を歩く者として、少しは役に立てるかもしれない。

それは、今がダメだからというわけじゃなく、「よりよく、生きるため」です。

 

そして、僕のポリシーとして、基本的に質問にはなんでも答えます。

人の話ばかり聞き出して、自分のことは話さないのはフェアな関係じゃないと

思っているので。

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