「常識」のバージョンアップ。
凄まじい台風ですね。
皆さん、本当にお気をつけください。
最近、「台風一過」という言葉をよく耳にします。
「台風一過」とは、「台風が通り過ぎて,風雨がおさまり晴天になること。」(大辞林)とあります。
なんだか、人に例えると、大泣きしたり、苦しい時を乗り切った時の爽快感に似ている気がします。
自然の中で生きているのですから、人間も同じ事が言えると思うんです。
いつも、平穏でいられたらいいと思うのですが、思いがけない嬉しい事、悲しい事が目の前に現れるのが現実です。
そして、避けて通れない事も沢山あります。
環境を変えたり、考えを変えたり、自由な部分はあるけれど、突然周りの命の灯が消えたり、予期せぬ事態に陥ったり、計画にはあってほしくない事柄が出現してくるのは、不自由な部分であると思います。
また、最近、「障害」ってなんだろうと考えます。
「LDは僕のID」にも書いたのですが、また、考え始めました。
「障害」と名前がつくもので、支えが必要な理由は、危険が伴う場面が多いからだと思うんです。
嗅覚が機能しずらい方は、ガス漏れに気づかないかもしれない。
聴覚が機能しずらい方は、パソコンの異音に気づかないかもしれない。
そんなことを生活の1つ1つの出来事から考えるようになったのは、色々な方々とお話しする機会を頂いたからかもしれません。
でも、自分だって、そのような方との交流がなければ、何もそういうことを考えずに過ごしていたと思います。
だけど、少しでも知ることで、日々の視点や視界が変わってきます。
これって、面白いことだと思いませんか?
自分の中での「常識」が日々、バージョンアップされていくわけです。
そうしていくことで、自然と相手が手を差し伸べてほしい大事な場面で、手を差し伸べることができるんだと思うんです。
事前に危険を回避できれば、大丈夫ですもんね。それでこそ、自然な人間関係が作られていく。
そんな自然な関係の中で、笑い合ったり、わがままを言い合ったり、我慢し合ったり、けんかし合ったりしながら、人と人とを繋いでいる縁という糸は着実に織り込まれていき、誰かを守る力になるんだと思います。