不自由の中の自由。

今年もあと数時間で終わりますね。

この時期はお休みを満喫されている方も多いのでしょうか。

 

ただ、この時期は卒業や入学等が本格的に近づいてきて、不安定になりやすい時期であるとも思います。

 

自分自身、不安ばかりで余裕がなかったことを覚えています。

今も、余裕があるかといえば、そうではないのですが。苦笑

考え過ぎもよくないですが、考えることから目を逸らすのもいずれ現実を目の当たりにしなければいけない時が来るので、その備えも大事になってきます。

 

ただ、考える事は大事ですが、「独りで考え込む」というのは得策ではないと思うんです。

そして、一人で考えても答えが出ないものがあったり、決断できないものもあったりします。

 

そんな時は責任転換ではなく、気分転換や思いきって判断を誰かに委ねてみるのもいいのではないかと思うんです。

考えるだけ考えたら、あとはその話をした人の判断を素直に聞いてみる。

案外、新しい視点や発想が出てくる可能性があります。

 

当事者ではないと、考え過ぎないので、時に無責任に映るかもしれませんが、「そういう考えもあったのか!」という考えを持てる可能性もあります。

もちろん、話す人を選ぶ必要もありますが、今、絶望の淵で迷っている人には「語ることを怖がらないで」と伝えたいと思います。

対面でなくても、ネットでの繋がりの力の大きさは計り知れないものがあります。

パソコンという無機質なものかもしれませんが、そこに想いを沢山詰め込んで、血の通ったやり取りはできますもんね。

 

今の時代、社会という流動的なものに必要なものを決めつけ、強迫観念のもと、「これができなければ社会でやっていけない」という実像のような言い回しをし続けながら、虚像に怯えて、あれやこれやと子どもを縛っている面があります。

 

それ自体は決して、「悪」とは言えないけれど、やっぱり不自由に感じる子達もいる。

「あなたのため」と言われてもなかなか受け入れられない。

 

大人であっても、今していることが正解なのかわからない面もあります。

だからこそ、今正しいと思っていることをされているのであれば、「不自由の中の自由の素晴らしさ」を教えてあげてほしいです。

 

そして、正解は変わっても、正義は変わらなかったりします。

「光である子ども達の未来を暗くしない」

社会の動向を見ながらも、そこは貫く一年でありたいと思います。

 

それではよいお年をお迎えください。

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コメントが1件あります。

  1. 川村ひかり より:

    南雲さん、こんにちは。
    とあるきっかけで、最近南雲さんの「僕は字が読めない」を拝見させて頂いた者です。
    とても読みやすくて、一週間くらいでバーッと読んでしまいました。
    私も現在ADHDとLDの診察中で、ステラトラとか呑み始めたばかりです。

    南雲さんの本にも書いてありましたが、私も読書と聞く事に明らかに不便さを感じていたのにそれが自分では分からず、自分が常に悪い、周囲も努力不足と判断を下されて来ました。
    今回は、読字障害と診断された方の、生の声が聞きたくて、本を手に取りました。
    南雲さんの読字の不便さと比べたら、私のものは何か違うなという事は感じましたが、大変参考になりました。
    (ちなみに私は、書く事に不便さはありません、読むときと、聞くときに、単語区切りでしか、言っている事が、書いてあることが理解できないのです)
    その為、色々職場も変わり、随分周りの人に迷惑もかけてきたと思います。

    私には治療を受ける事で、理解を示してくれる友達が今一人いますし、結構今後自分の頭の中にどんな名前が付くのか、とても楽しみにしています。
    南雲さんの、「肩書きが欲しい」という気持ちととても似てると思います。
    私は、ようやく自分の今後に希望が見えてきたところなのです。

    勇気ある南雲さんの、実名を出しての体験を読んで、こんなすごい人がいるのか、ととても頼もしく思った次第です。
    南雲さん、ありがとう。
    そして、来年も南雲さんにとって良いお年でありますように!

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