それは誰の喜びに繋がるんだろう。
明日から、3日間東京にいるのですが、いつも服装に悩みます。
新潟は寒いので、普段は厚着はしますが、新幹線に乗って、東京駅に着いてしまえば、外にいる時間も長くないので、脱いだり、着たりが面倒で、結局、薄着になってしまいます。笑
でも、悩むって事は、選択肢を探していく事なので、その時間は面白いものでもあったりします。
ただ、その選択肢というのは、頭の中では自由に発想できますが、現実を考えると、衣服であれば、無制限にあるわけではないので、その限られた中から、選択をし、実行に移すという作業をしなければならない。
学校であれば、全てではないにしても、「自由な服装」であっていいと言われると、逆に困った事ってあると思います。
ただ、その分、選択肢はないわけで、つまらないものにはなる。
互いにメリットデメリットありますね。
先日、朝のテレビで不登校の特集をちらっとですが、見ました。
「不登校」で悩むというのは、子どもの未来を考えたり、自分の将来を悲観して焦ってしまうから、悩みますよね。
自分でいえば、今でこそ、その経験を講演で何百回と話しているので、割り切るというか、受け入れて話ができていますが、それまではひどく葛藤があったんです。
不登校だった10代後半は、もう焦りばかりでした。
どんどん、周りの友達や世間から置いて行かれているような焦燥感といったら、もうイヤでイヤで。
そんな時よく、「生き急ぎすぎ」と言われることが多かったのですが、とにかく、レールから外れることが怖かったんですよね。
どうしようもないけど、現状は打破したい。
だけど、できれば自分で選択しないで、誰かに選んでもらった方がいい。
なぜなら、自分で選んだ後、失敗するのが怖いから。
そして、言い訳もしやすいからというのが当時の自分でした。
情けないけれど、そうだったんです、本当に。
でも、それすらも実は「選ぶ」という選択を随時しているんです。
だから、悩む方向性を変えてあげることができれば、違った選択をすることができる。
選択する力はあるわけなんです。
これをするには、信頼関係を築いた大人が必要ではあるのですが、それは中長期的なことであって、短期的なもので言えば、このようなブログもそうですが、至るところにヒントはあるはずなんです。
あるテレビの取材を受けたとき、ディレクターの方に言われたことがあります。
それは、「いいところ取りでいいんじゃないのかな」と。その当時、疑問や不満が多かった時期なんです。
このフレーズは、それ以前にも信頼している方から言われたことがあるのですが、改めて、「なるほど」と腑に落ちる出来事でした。
ちなみにそのディレクターの方とは、2度程度しかお会いしていません。
それまでは、本当に不満が多かった。
「発達障害関連の団体なのにまるで本人のことを考えていない!」とか、「当事者を一つの駒程度にしか思っていない!」とか。笑
でも、残念ながら、不満というのは不満をどんどん生み出していきます。そして、どんどん、自分の性格がねじ曲がってくる。
自分の障害特性以前に、「かわくない」と「一緒にいたくない」と思われたら、ヒントを自分から遠ざけることになる。
それ以来、いいところ取りという選択をしつつも、その不満を不満のままで終わらせず、不満を昇華した上で、色々な方に提示していこうと考えました。そして、その人達とは関係は断ってはいないのですが、距離を置くことを選びました。
たった一つの言葉から、10も20も新しい発想が生みだされていく。
人って、本当に素晴らしい機能を持ち合わせているなって、感心しました。笑
今、悩んでいる人、または悩みから視線を外している人。
それぞれがそれぞれのステージにいると思います。
袋小路に迷い込んだり、堂々巡りをしているようであれば、中長期的なことを考えると、悩みすぎて、考えることを放棄してしまいたくなる可能性があります。それでは勿体ない。でも、考えてしまうんですけどね。汗
それには良い方法があります。
色々な悩みの後に「それは誰の喜びに繋がるんだろう」って付け足して、考えていくんです。
自分の幸せの為だと、なかなか人って力がでませんが、誰かの為だと、思わぬ力が出てくるんです。
そこに未来への可能性が沢山潜んでいる。
少しの付け足しが、違う結果を生み出してくれると思いますよ。