自分で生み出す経験。

全国各地で雪の影響が出ていますね。

高速道路も関越道が一部通行止めの影響もあってか、先週末届くはずだった宅配物が届きません。

事務用品とかなので、すぐに必要な物ではないのですが、予想外のことが続くと混乱が続きますよね。

 

しかし、衣食住はなんとかなっている以上、不満を言っていては時間が勿体ない。

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屋根の雪を掘りながら、体を鍛え、

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狭い道だからこそ、導かれるように進み、

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ホイップクリームのような雪に甘い夢を馳せる。笑

 

ひとまず、そう考えるしかないかなぁ。

 

また、昨日は中学生の時の国語の先生とお会いしてきました。

新潟に移り住んで、約半年。

当然のことですが、こちらにも不登校の子ども達はいます。

時代は少し違えど、「悲しみ」とか「苦しみ」という感情は変わりません。

そして、周りの目も変わらずにある。

 

先生もあんまり変わらない。

それって、生徒だった人にとっては心地よかったりします。

自分がどんな立場で社会にいても、大抵の人は対応を変えるのに変えないでいてくれる人って、僕は単純に好きだし、貴重だなって思います。

 

「変わっては、困るもの」

 

「変わらなければ進めないこと」

 

何でもかんでも、変化すればいいってことじゃない。

変化が美化されている今の時代でも、「どこをどう変えるのか」というのが大事なんですよね。

 

そして、今までのやり方でダメなら、潔く仕切り直すというのも大事で、「子ども達を支援する」というのも大事なんだけど、「子ども達が主体で動く」という状況をあえて、生み出してみると面白いと思うんです。

 

支援者は大事なんだけど、その補助輪が必要なくなった時、どう走ることができるのかというのを考えると、「自分で生み出す」ということも経験するって必要。

 

ただ、「自分のために」って、力が出にくい。

だから、「誰のために主体で動くのか?」というのを子ども達と大人が真剣に語り合っていくと面白くなりそうです。

 

こちらでも、少しずつ、種蒔きをしていきます。

春頃には少し芽が出るといいなぁ。

コメント(2) この記事のURL

コメントが2件あります。

  1. きくち より:

    初めまして。
    学習障害で不登校の小3息子を子育て中の者です。

    先が見えなくて、学校とのやりとりに疲れ、何もかも嫌になっていました。
    そんなある日、南雲さんのことを知りました。

    『泣いて、笑って、母でよかった』
    南雲さんのお母様のお気持ちが、自分の気持ちと重なって
    こんなに涙って出るんだと思うくらいに泣きました。
    気を張ってきていたので、肩の荷が降りたような気持ちになりました。

    息子は勉強全般が苦手です。
    『普通になりたい』
    『どうしてこんな風に生まれたんだろう』
    学習障害かと、疑うまでは怠けだと思っていましたから、
    懺悔の日々です。

    いつの日か、息子も南雲さんのように前を向いて生きて行ける日が来ると、
    信じたいと思います。
    長文、失礼いたしました。

    • なぐも より:

      きくちさんへ

      初めまして。
      コメント、ありがとうございます。

      『普通になりたい』
      『どうしてこんな風に生まれたんだろう』

      早い段階から、そのように感じてしまうのは親御さんとしてもご本人としても、心苦しいですよね。

      ただ、突破口は必ず、どこかにあるはずなんです。

      信じることだけでは、解決はしないことが多いです。
      だけど、信じているからこそ、始まる未来もまたあるんですよね。

      僕は周りのごくわずかな人達でしたが、前を向いて生きていける日を信じていました。
      その人達が未来を諦めていたら、間違いなく、今の自分はいません。

      だから、懲りずに信じ続けてあげてほしいです。

      その過程には、普通の人と呼ばれる人達が味わうことができない沢山の絶望と希望があり、何ものにも代えがたい絆として、親子の間に深く刻まれるはずです。

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