不登校のリアル。(7)毎週、木曜日更新。

【説明】

過去に書いてあった不登校についての文章をアップしていきます。

 

ざっくばらんですが、結構正直な気持ちなので、あんまり書き直さずに載せていきますね。

 

(なぐも)


 

不登校らしく

 

このような接し方を作り上げてしまうと、学校に行っている人が正解で、行っていないのが不正解で、不正解の子はみんなで正解に導いてあげなければいけないという妙な義務感が生まれます。

 

これではどんどん、その子は不自由になってしまいます。

 

どんどん、「不登校らしく」いなければいけません。

 

僕が不登校だったとき、昼間外出するにはサングラスやら帽子やら、隠れてもいないし、隠すべきものはないのに、隠さなければいけないという思い込みがありました。

 

ただ、家にいてばかりでは落ち着かないので散歩しているだけなんですけどね。

 

だから、自然に帽子もサングラスもしないでいられる時といえば夜で、自由になれるのは夜ということになり、昼夜逆転が始まってしまいました。

 

これは自分を正当化するためではなく、自由でいるためにはごく自然な行動なんです。

 

しかし、理由はどうあれ、昼夜逆転に慣れてしまうと、人との煩わしさがなくなり、自由をはき違えてしまい、人がいなくても自分は十分生きることができるという勘違いをしてしまいます。

 

なんでも自分の思い通りにいくと思ったら、これは間違いです。

 

人と人とが一緒に生きていくというのは、そんな容易いことではありません。

 

人と人が一緒に生きる自由というものも存在するのです。

 

それは身近な人達が身を持って、示していくしかありません。

 

これは根気がいります。

 

夜寝られなくても、夜の仕事に就けばいいという話をする人の話は聞かない方がいいです。

 

夜、仕事をしている人に失礼です。

 

夜への心意気が違います。

 

(つづく)

【ひとりごと】

 

自由を得ようとすると、不自由もまた生まれます。

 

また、不自由の中にも自由というものは存在します。

 

でも、どんな形であれ、一人では生きられないことを考えれば、誰かと生きる自由を選びたいですね。

 


 

【過去のリアル】

■不登校のリアル。(1)

■不登校のリアル。(2)

■不登校のリアル。(3)

■不登校のリアル。(4)

■不登校のリアル。(5)

■不登校のリアル。(6)

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